22時半――「それじゃあな、琢磨」航は居酒屋の前で琢磨に手を振った。「ああ、それじゃあな」そして2人は互いに背を向けて歩き出し……航は振り返ると琢磨に呼びかけた。「おい! 琢磨っ!」「何だ?」歩きかけていた琢磨は振り返り、航を見た。「琢磨、お前いつまで沖縄にいるんだ?」「ああ、明日の昼には帰る」「はぁ? お、おい……その話本当か?」航は琢磨に駆け寄った。「ああ、そうだ」「冗談だよな?」「冗談を言ってどうするんだよ」「だって……あんなに荷物を持ってきていたじゃないか」「それなんだが……本当は2、3日は滞在予定だったんだが会社でちょと取引先とトラブルがあったらしくて二階堂社長から電話が入ったんだよ。だから明日戻ることにしたのさ。悪かったな、肝心な事言い忘れて」「ったく……何だよそれ。折角明日は何所か観光案内してやろうかと思っていたのに」「ああ、悪かったな。なーに、又来るさ。その時はよろしくな?」琢磨は航の背中をバンバン叩いた。「ああ。よし、それじゃ飛行場まで送ってやるよ」「そうだな。頼めるか?」「ああ、勿論だ。10時にホテルに行くから待っててくれ」「分った、それじゃ明日な」2人は今度こそ、手を振って別れを告げた――**** 事務所までの道のりを航は酔い覚ましも兼ねてブラブラと歩いていた。空を見上げれば満点の星空が輝いている。「やっぱり沖縄の夜空は綺麗だな~こんな星空を朱莉と2人で見れたら……」しかし、そこで航は首を振った。「駄目だ……もう朱莉は今度こそ本当の人妻になってしまったんだ……。諦めなくちゃいけないって言うのに……」航は深いため息をつきながら事務所まで歩き続けた―― 事務所に到着したのは23時になる頃だった。航は欠伸を噛み殺しながら電気をつけると、まず始めにPCの電源を入れた。仕事の依頼が届いていないか見る為である。スマホでも見る事があるが、中には添付ファイル付きのメールが届くときもある。なので航は仕事の依頼は必ずPCでチェックするようにしていた。「あれ……?」その時、航は1通のメールに気が付いた。それは茜からであった。『安西さん、依頼したいことがあります。メールではお話しにくいので、明日の18時に事務所に伺ってもよろしいでしょうか?』「……?」航はそのメッセージを読んで首を捻った
19時―― 琢磨はエントランスのソファでスマホを見ながら航を待っていると、突然背後から航に声をかけられた。「琢磨、来たぞ」「待っていたぞ、航。それでどこで酒を飲む? このホテルのバーにでも行くか?」「いやぁ……俺にはバーみたいなかしこまった店は似合わないって。大体見ろよ、俺の格好」琢磨は航の格好を見た。真っ黒のTシャツに『海人』とでかでかと白抜きの文字で書かれたTシャツを着ている。上には縦じまのストライプ柄のシャツを羽織り、ジーンズにスニーカーというラフな格好である。一方の琢磨はTシャツに黒のジャケット、紺のボトムスにカジュアルシューズという出で立ちだ。「う~ん……確かにその服装はバー向きではないかな?」「だろう? そういうわけだから居酒屋行こうぜ。ここから歩いて10分ほど行ったところに繁華街があって、そこに居酒屋が何件かあるんだ」「よし、やっぱり俺達には居酒屋があってるかもな。早速行こう」琢磨はソファから立ち上った――**** 航と琢磨は居酒屋に来ていた。この居酒屋は古くからある店で、メニュー表などに写真は無く、全て御品書きは木の札に手書きされて壁にぶら下げられている。店内は古くからある沖縄民謡の歌が流れており、店内にいる客は見るからに観光旅行客らしい人物ばかりだった。航と琢磨は当然いつものごとく、お座席テーブルに座っていた。すでに2人の前には沖縄名物料理に、オリオンビールのジョッキが目の前に置かれている。「よし、それじゃ乾杯するか?」航はジョッキを持った。「乾杯? 何に? まさか朱莉さんと各務修也の結婚を祝ってか?」琢磨の言葉に航は顔をしかめた。「はぁ? そんなわけないだろう? 今だって飛行機に飛び乗って朱莉と2人、誰にも知られない場所に連れて逃げ出したい位なのに……」航は溜息をついた。「随分ロマンチックなことを言うな……。けど俺だって同じだ。生まれて初めて自分から好きになった女性に振られるんだからな。朱莉さんに会いでもしたら……各務と別れてくれって縋りついてしまいそうだ……」そして琢磨も深いため息をつく。「うわ! 女々しい奴だな。よし、それじゃ俺とお前の再会を祝して乾杯しようぜ」航は割り切った笑顔でジョッキを持った。それを見て琢磨は呆れたように肩をすくめる。「航。お前随分踏ん切りがつくの早いな? ひょっとして誰
琢磨が手配したホテルは海辺に建つホテルで全室オーシャンビューになっていた。「へぇ~すごい部屋だな。さすが琢磨が手配する部屋だけある。お? しかもあそこに見えるのは『美ら海水族館』じゃないか。懐かしいな~朱莉とも行ったっけな……」航はホテルの部屋の大きな窓から海を見つめた。「何!? お前、あの水族館で朱莉さんとデートしたのか!?」キャリーケースから荷物を出していた琢磨が驚いたように顔を上げて航を見た。「ああ、行ったぞ? 楽しかったなぁ~くっそ……あの頃に戻れたら……俺は迷わず朱莉にプロポーズしたのにな」航は悔しそうに唇を噛んだ。「おい、航……その前に肝心なことを忘れてるぞ? 先に告白からするべきだろう?」琢磨がからかう。「うるせぇな……そんな告白なんて、まどろっこしい。大体グズグズしていたから他の男に朱莉を取られてしまうじゃないか」「なるほど……確かにそうだな。俺もそうすることにしよう」琢磨も妙に納得したように首を縦にするが……2人は一番肝心なことを忘れている。全ては手遅れだと言うこと、あの頃に戻ることは決して起こりえないということも――「ありがとう、航。お前が迎えに来てくれて助かったよ。お礼にここのホテルで一緒にコーヒーでも飲みにいかないか?」全ての荷物を片付け終わると琢磨が言った。「お? いいな~、それ。是非奢ってくれよ」航は琢磨の歩を振り向くと笑みを浮かべた。**** 琢磨が宿泊しているホテルの1Fのカフェレストランで2人は大きな窓際のテーブル席に座り、アイスコーヒーを飲んでいた。「それにしても沖縄に来るのも久しぶりだな……。朱莉さんが沖縄に住んでいた時以来だ」琢磨は窓の外から見えるヤシの木を見つめながらポツリと言った。「そうか。まぁ……ある意味琢磨には感謝もしてるし……恨みもあるかな?」航はストローでアイスコーヒーを飲んでいた。「おい、何だよ。感謝って言葉は分かるけど、何故恨みもあるんだ?」琢磨は不服そうに航を見た。「そんなの決まってるだろう? お前が朱莉を沖縄に連れて来なければ俺は朱莉と出会えなかったし、あんな辛い別れを経験することにもなったんだからな」「うるさい。それを言うなら翔が契約結婚の相手を朱莉さんに選んだから……。いや、でも一番悪いのは俺か……。書類を受け取って人選の段階で朱莉さんを選んだのは他
11月15日午前10時――この日の沖縄は快晴で、雲一つない空が広がっていた。航は那覇空港の2階にあるウェルカムホールで琢磨が来るのを待っていた。暇つぶしにスマホのアプリゲームをしていると、不意に右肩を背後からわしづかみにされた。「おわっ!」航は驚いて顔を上げると、そこにはニヤリと笑みを浮かべた琢磨が立っていた。ジーンズに白いTシャツにデニムのジャケット姿とラフな服装の琢磨に、航は抗議した。「おい! いきなり何するんだよ! 心臓が止まるかと思っただろ!」しかし琢磨は航の抗議の言葉を意も介さずに言った。「まぁ、固いこと言うなって……こうして久しぶりに会うって言うのに……ん? 何だよ?」航があまりにもジロジロ見つめるので琢磨は首を捻った。「琢磨……お前、痩せたなぁ……。それほど朱莉のことがショックだったのか?」「う……うるさい! お前だって人のこと言えるのか? ……って航は健康そうだな。身体も随分日焼けしてるし、もうすっかり沖縄県民だな」「ああ、そうだな。かれこれ沖縄に来て1カ月以上過ぎてるし……。よし、それじゃまずはお前の荷物を取りに行くんだろう?」航は椅子から立ち上った――****「しっかし……わざわざ名護市のホテルを予約するとは思わなかったな。てっきり那覇市にホテルを予約したかと思っていたよ」航は助手席に座り、沖縄の景色に見入っている琢磨に声をかけた。「何言ってるんだ? 当り前だろう? お前が今名護市に住んでるのに、何で那覇市のホテルに泊まるんだよ。おい、今夜は一晩中酒に付き合ってもらうからな? やけ酒だ」「ん? ああ……そうだな。何せ今日は朱莉の……」航はそこまで言うと、口を閉ざした。琢磨も今日が何の日か良く分かっていたので、車内はすっかりお通夜のような雰囲気になってしまった。「「なあ……」」その時、同時に2人の声がハモった。「な、何だよ……琢磨」「いや、それは俺の台詞だろう? 航……今お前、何言おうとしたんだよ?」「う……そ、それじゃあ聞くけど……琢磨。お前、朱莉に……告白したのか?」「……した」琢磨は声のトーンを落とした。「マジ!? したのかよ……いつ、どこでだ?」「朱莉さんからメールを貰ったその日の夜だ。六本木ヒルズ51Fにある和食ダイニングバーで……」するとそれを聞いた航はヒュ~ッと口笛を吹いた
とあるマンションの玄関前――「嫌だよ~! この猫は僕が飼うんだ~!!」茜の黒猫を拾った10歳ほどの少年はキャリーバックに入れたクロを抱えて、返そうとしない。「壮太! いいかげんにしなさい! この猫はお姉さんの飼い猫なのよ!?」ついに怒った母親は我が子とキャリーバックの奪い合いになってしまった。そして、親子喧嘩を茫然と見ていた茜だったが……。「きゃああ! ク、クロが!」茜が悲鳴をあげた。2人の間で何度もバックの引っ張り合いが続くのでその度にバックの中でクロが転がっているのだ。クロはたまらずニャーニャーと鳴いている。「お、おい! やめてくれよ!」流石の航もこれ以上看過できないと思い、親子の間に割って入ると少年に言った。「いいか? この猫……クロの飼い主は今お前の目の前にいる女の人なんだ。ほら、野良猫が首輪なんかしていると思うか? しかも首輪にはクロと書いてあるらしいぞ? そうだよな?」航が同意を求めるように茜を見た。「え、ええ……そうです……」「うう……だ、だけど拾ったのは僕だ! 落し物を拾った相手はお礼を受け取れることが出来るんだぞ?僕はちゃんと知ってるんだからな!」「壮太! お兄さんにそんな口を叩くんじゃありません!」母親が再び声を荒げて少年を叱る。「う~ん。確かに落し物を拾った場合、現金だった場合は拾った額の5~20%受け取れるって言われているけど……猫だからなぁ……ばっかりはどうしようも無いだろう? 猫は分けるわにはいかないんだから」「そ、そんなこと……言われなくたって分かってる……分かってるんだよぉ!」すると今まで黙っていた茜が少し考えこむと言った。「あの……私から提案があるのでが……」**** 帰りの車内――茜の膝の上には空っぽのキャリーバックが乗せられていた。「……」茜はどこか悲し気にキャリーケースを見つめている。(やっぱり自分で提案したことだとは言え……落ち込んでるんだろうな……)茜が提案したのは週の前半と後半に分けて、クロを互いの家で交代で飼育することに決めたのだった。(クロと過ごせないから寂しいのかもな……)航はそんな茜を見かねて声をかけた。「なぁ……本当にあれで良かったのか?」「え? 何がですか?」茜は顔を上げて航を見た。「本当は……今夜、クロのこと連れて帰りたかったんじゃないのか
「はい、これどうぞ。安西さん」助手席に乗りこんだ茜がいきなり運転席に座っていた航に缶コーヒーを渡してきた。「え? 缶コーヒー? どうしたんだ? 急に」航は右手でハンドルを握り締めたまま尋ねた。「ほら。初めてお会いした時、安西さんとぶつかってコーヒーを駄目にしちゃったじゃないですか? そのお詫びです」茜は自分の分の缶コーヒーをレジ袋から出すとカチリとプルタブを開ける。「別にそんなこと気にする必要なんかないのに……でもサンキュー」航は礼を言うと、ハンドルから手を離してプルタブを開けて、ゴクゴクと一気飲みすると茜が手を差し出してきた。「はい」「え……? 何だ?」「空き缶下さい。一緒に入れておきますから」みると茜もいつの間にか缶コーヒーを飲み終わっているようだった。「悪いな」航は茜が広げたレジ袋の中に空き缶を入れると、茜は袋の口を締めた。「よし、行くか」航はカーナビに目的地の住所を打ち込むとシートベルトをしめた。「はい、お願いします」そして航はアクセルを踏んだ――****車の中ではカーラジオが流れていた。そこから航の聞き覚えのある歌が女性の声で流れてきた。てぃんさぐぬ花や爪先ちみさちに染すみてぃ~……「あ……この歌は……」航はポツリと呟いた。「この歌、素敵ですよね~沖縄本島で昔からある歌で、いつ・どこで・誰が作ったかも分からない古くから伝わる沖縄民謡ですから」「ふ~ん……。そう言えば、あんたは沖縄の出身なのか?」「はい、そうです。安西さんは違うんですか?」「ああ。俺は東京出身だ。それに10月に沖縄に来たばかりだからな」「ええ!? そうなんですか? もうずっと前から沖縄に住んでいる人かと思っていましたよ!」茜は驚き声を上げた。「? 何でそう思ったんだ?」「だ、だって……安西さん、すごく日焼けしているし……便利屋さんて仕事をしているからてっきり地域密着の現地の人かとばかり思っていましたよ」「はぁ? 何だそりゃ。アハハハハ……」航は声を上げて笑った。すると茜は気をよくしたのか航に尋ねてきた。「でも、どうして東京からわざわざ沖縄に来たんですか? もしかして失恋でもしたんですか?」茜は冗談めかして聞いた。すると途端に航は押し黙ってしまった。(朱莉……。今、どうしてるんだ……?)失恋と言う言葉を聞いて再び航は朱